織田幹雄記念国際陸上競技大会(大会結果)
4月29日(日),広島県(広島広域公園陸上競技場<広島ビッグアーチ>)において,織田幹雄記念国際陸上競技大会が開催されました。当社陸上競技部からも,油谷繁選手が10,000メートルに出場し5位に入賞,5,000メートルでは岡本直己選手が4位,重成英彰選手が ...

織田幹雄記念ポール
右下が「織田ポール」 織田幹雄 北京五輪の陸上競技で、男子のリレー...

【124】「はしる」阿部馨さん文・堀内誠一さん絵・織田幹雄 ...
... 【はしる】 その、織田幹雄さんがこの絵本の監修なんです! 「織田幹雄さん」というお名前は、小学生の頃からずっと聞かされていた名前だったのですよ。 なんと、実はワタシの父が国民学校時代に「三段跳び」の選手だったんですね。はは。 ...

第41回織田幹雄記念国際陸上競技大会
普段サッカー観戦でしょっちゅう行ってる広島ビッグアーチに行ってきました。毎年開催されている第41回織田幹雄記念陸上競技大会。 個人的にファンである為末大選手の走りを見てきました。今日は過去世界陸上でメダルをとっている400Mハードル走ではなく ...

織田幹雄記念国際陸上競技大会
今日(4月29日)は広島市のビックアーチで「第41回織田幹雄記念国際陸上競技大会」がありました。新聞を見ていると知っている選手も出ているので、出かけてみることにしました。 織田記念は初めてでした。人が多いのでびっくり。 ...

織田 幹雄(おだ みきお、1905年3月30日 - 1998年12月2日)は、広島県安芸郡 (広島県) 安芸郡海田市町(現・海田町稲荷町)出身の元陸上選手。日本人初のオリンピック金メダリスト。
1922年、旧制広島一中(現・広島県立広島国泰寺高等学校)徒歩部(陸上競技部)時代、17歳で三段跳び日本新記録。1923年、第6回極東選手権で走り幅跳び、三段跳びで優勝。1924年のパリオリンピック (1924年) パリ・オリンピックに出場。日本選手団は陸上・水泳・テニス・レスリングの全28人だった。当時の日本陸上は世界の情勢に程遠く、オリンピック村で他国のチーム関係者に話を聞いて驚くような状況だった。織田は走り幅跳びでは惜しくも入賞を逃したが、三段跳びで日本陸上初の入賞(6位)を果たした。1925年、早稲田大学商学部に進学。当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」と呼ばれた競技名を自ら「三段跳び」と訳した。現在はトリプルジャンプと呼ばれている。1928年のアムステルダムオリンピック アムステルダム・オリンピックでは日本選手団の主将として出場するとともに、三段跳びで日本人初の金メダルを獲得した。記録は15m21cm。1931年、早稲田卒業後、朝日新聞社入社。同年10月27日、当時の三段跳びの世界記録(15m58cm)を樹立した。
織田幹雄の詳細